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皆様の質問から~ Q、幸せになるためには苦痛や不幸が重なるのでしょうか?

複数の方々から質問をいただいています。

なお、個人的にメールやラインでご質問いただいても個々にはお返事はさしあげていない旨ご理解お願いいたします。

また、特にお電話でのご相談は固く固くお断りいたします。

(ご相談がある方は、個人セッションでお申し込みくださいませ。)

 

 

今後もいただいたご質問は、プライバシーには配慮し、ブログにて「お答えする」というよりは、私の感じたことをお話します。

 

 

 

今回いただいたご質問です。

 

 

Q、

①「幸せになるには、なぜ苦痛や不幸が重なるのでしょうか?」

②「苦痛とは求める心(業想念・ごうそうねん)からきていますか?」

 

 

①のご質問です。

「幸せ」をどうとらえておられるか、が重要です。

 

 

「健康」が幸せなら「病気」になると不幸だし、「裕福」が幸せならお金がなくなったら不幸です。

「家族といること」が幸せと思っていても、ある日突然津波のようなことが起こって一瞬にして大切な人たちを失うことだってあるのです。たちまち不幸になります。

 

 

①のご質問の方は、「真の幸せ」をお分かりになられている(なろうとされている)方だからこそのご質問かな、と思います。

 

 

「苦痛」ってなんでしょう?

 

 

私はかつて(20代後半~30代のころ)スキューバダイビングが趣味でしたが、かなり苦痛で過酷なスポーツです。

20キロのボンベを背負って、海の中に潜るのです。

呼吸もレギュレータというものを口にくわえてタンクの空気を吸うのですが結構苦しい~

海の中なんだから当然です。

水深30メートルでタンクの空気がエンプティ(空っぽ)になり、命からがら助かったこともあります。

それなのに、また次の日は海に潜りにいくのです、、、、

 

 

なぜか??

「楽しいから」

 

 

スキューバダイビングは魚と戯れ、美しいサンゴ礁や珍しい海の生き物との遭遇が楽しくてしかたない。

 

苦痛を含めて「楽しい」のです。

いやむしろ、苦痛があるからこそ楽しい!!

 

 

マラソンでもだれもがらくらく走れるものではなく、厳しい距離を体力の限界まで走りぬくからこそ勝者に栄冠が贈られ、

野球もサッカーもラグビーもなんでもすべてのスポーツにはルールという窮屈でやっかいなものがあり、その困難なかで技を競うから白熱する。競技者にはエールがおくられ、勝者は称賛されます。

 

 

 

この人生も同じです。

すべてうまくいって、思い通りにはこんで、焦ることも傷つくことも怒ることも涙することもない人生なんてありえないでしょう。

焦ることからも

傷つくことからも

涙からも怒りからも何かを得て、次の日に旅立つ。

 

 

 

神さまは常にあらたにあらたに私たちをアップグレードするための「事件」を用意してくださっているのです。

そしてすべては「良いようになっている」のが法則。

そのことに気づけないのは・・・小さな自分を生きているから、としか表現できませんが、目の前の現実の奥にある本当の意味を「自分で気づく」ことです。

だれかから教わり気づくものではないのです。

 

 

 

②の質問。

「苦痛とは求める心(業想念・ごうそうねん)からきていますか?」

 

「業想念」とは過去をつかむ心です。

つまり新たに新たに受けなおしていない心。

いつもいつも神さま(宇宙の摂理、という意味)は最善の状況を用意してくださっています。

その状況を「苦痛」「不幸」とジャッジしているのは「自分」。

常に新たに受けなおせばよいだけなのです。

 

 

 

新たなる無限の無限の輝きが無限に無限にいっぱい

ありがとうございます

 

 

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